修験道 弘潤院 大峯行雲 本文へジャンプ
修 行 記 録 一  〜大峰・葛城修業〜


イメージ イメージ イメージ
毎年9月初旬に行う奥駆修業。吉野から熊野を目指し一週間かけおのれの精神的・肉体的限界に挑戦する行者達。
冥界のように霧におおわれた大峰山上ヶ岳周辺を行く。行者が吹く法螺貝の幽玄な音が霧の中を無限に拡がってゆく。 奥駆道の途中にある古木。行者がここへさしかかる時、朝日が照りつけて黄金色に染まり、文字通り「ご神木」となる。

イメージ イメージ
暴風雨の中大峰奥駆修行の途中で全員濡れねずみになりながら先達の教えに耳を傾ける行者達。なかに気丈な女行者も。 神倉神社のご神体「ごとびき岩」。古代の自然信仰の象徴的存在であり、行者はこのような木石に神仏の存在を感得する。 葛城修業の白眉。大阪湾上に浮かぶ友ヶ島での修業風景。崖下の観念窟まで断崖絶壁をロープで降りる行者。

 山伏問答にもあるように、役行者は葛城山に入山した後、大峰山に入山し修業をしました。

 葛城山は標高約千メートルで、奈良県と大阪府の県境に位置し、金剛山地の一角を占めております。大和の国茅原の里(現奈良県御所市)に生まれた役行者にとって、葛城山は自分の住み慣れたふるさとの里山という感じだったと思います。
 役行者は顕教(お釈迦様がお説きになった誰にでもわかる教え)の根本経典である法華経を唱えながら修行に励んだという故事から、葛城山中の各所に法華経二十八品が埋納されました。これを葛城二十八宿経塚といいます。山伏問答で葛城山を「顕の峰」といわれる所以もここにあります。

 この経塚は、従来伝説上の存在で、具体的にどこにあるのか最近までわかりませんでした。しかし、多くの先達の大変なご苦労により、ようやく最近になって二十八宿の個々の場所が分かり、周辺の道路も整備されつつあります。ここに来る度に、私は昔の人々の宗教的情熱が如何に熱かったか、を思い知らされます。

 この二十八宿を1年で廻る修行もありますが、私は、毎年春にこの経塚を2ヶ所づつ、14年かけて廻る修行に参加しております。明るい春の日差しに輝く小高い山々は、まさに法華経に出てきます観音菩薩の柔和で慈悲に満ちたお姿を連想致します。この修行の目的は、菩薩行の実践に向けた心構えを涵養することです。修業を終えて現実の社会に戻ってから、修行で育んだ自利利他(他人を思いやりその幸せを願うことの中に自分の生きる価値を見出す)の心を実践していこう、そういう自覚をもって生きていこう、ということです。

 葛城修行の白眉は、友ヶ島の観念窟における修業です。海岸直下に切り立った急斜面の途中に高さ120センチ、幅200センチ程の小さな洞があり、役行者がそこで座禅を組んで修行したといわれる場所です。洞の内側から外を見ると、葛城山などの山々と大きな海が眼前に広がり、まさに座禅修行をするには絶好の場所です。海からは直接登れないので、斜面の上から洞までロープで降りてゆきます。狭い場所なので数名づつ降りて洞の中法螺を吹き読経をしてから、またロープで崖の上まで登ってゆきます。なぜかこの行場に来ると、役行者がにこにこと微笑みがら身近にいるような感じに襲われます。

 一方、大峰山で感じる役行者は、自ら勧請した吉野の金峯山寺に鎮座する蔵王権現のように、大変厳しいお姿をしています。

 大峰山系は、北は奈良県吉野から南は和歌山県熊野まで全長200キロ、標高二千メートル前後の山々が連なる広大な山域で、人を寄せ付けない峻険な山々が多く、当時は入山する人もめったにいなかったと思います。この山域に入った者は、その広大さと険しさに圧倒され、あたかも密教(大日如来を中心とした神仏の秘密の言葉・真言で説かれ、一般の人間には理解できない教え)の世界観である曼荼羅にたとえました。従って、大峰山を「密の峰」というのです。

 山伏問答によれば、その大峰山を役行者は生涯に三十三度も駆け廻りました。熊野本宮から吉野に向かうことを順峰、吉野から熊野本宮に向かうことを逆峰といいます。順逆ということは往復という意味でしょう。即ち、役行者は吉野・熊野間を三十三度往復したことになります。

 大峰山の尾根筋に、七十五の霊場(靡・なびき)を擁する大峰奥駆道が開け、修験の一大道場として明治まで隆盛を誇りました。しかし、明治の修験廃止令により急激に衰退し、奥駆道も痕跡をとどめないほど荒廃しました。しかし、ここでも諸先達や地元の人々の長年にわたる努力によって、ようやく復興の兆しが見えてきています。今では比較的安全に修行に励むことが出来るようになりましたが、それでも多くの危険な個所があり、予断を許さない状態が続いております。

 大峰奥駆修行については、多くの寺院や団体が夏季にそれぞれの日程とコースで行っており、また多くの資料や体験談が書かれていますので、それをご参照ください。私達は吉野から入山して、山中四日間を費やし釈迦ヶ岳から前鬼口に降り、熊野までバスで移動し、熊野三社にお参りして行を終えるコースに参加しています。それでも修業を終えると、足はむくんで丸太ん棒のようになり、地下足袋で衝撃を受け続けた膝はぼろぼろ、腰はガタガタ、になります。しかし、精神的にはこの修行の目指す「死と再生」の疑似体験により、自己の中に溜まった垢を捨て去り、今一度清浄な自分に生まれ変わった、という充実感で満たされます。

 「実修得見」(実際に修行してはじめてわかる)という修験の本来の趣旨をご理解いただき、ご縁がありましたら、一度ご参加されますことをお勧め致します。