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gibson's flat-top guitars serial numbers(1925-77)



gibson l-series,b-series(-1969)

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gibson j-series(-1969)


ギブソン・フラットトップアコースティックギター 
J-45、J-50 仕様変遷(-1969)




● standard=  top: spruce.  body(side,back),neck: mahogany.  finger board: rosewood.  scale:24.75inch ●
始まった年 終わった年 項    目 詳     細 ギブソン全体の概略
40年代 1942 Jumbo(1934-36)、J-35(1936-42)の後続モデルとして、ダークウォールナットステインフィニッシュのJ-45登場 スケールは24・3/4インチ、19フレット、14フレット接続。16インチ幅のボディサイズ。トップのカラーはJ-35に倣ったいわゆるタバコサンバースト。材質、仕様ともに同器種の流れと考えてよい。サイドのマホガニーはラミネイト材が使われている。J-35の方はピックガードが途中にくぼみのあるデザインだったのを縞模様(フレイムパターン)のティアドロップタイプに、またそれまでのギブソンのグリップは、極端な三角グリップであったのを丸いグリップに変更した。チューナーは、当初クルーソンの3連オープンタイプのプラスティックのつまみのタイプ(ただし、まれにウェーバリーが使われることもあった)。プラスティックの部分は、現在、経年変化で萎縮してしまっていることがある。
ちなみにナチュラルのJ-35は希少。加えて、35、45、50などJに続く数字は、当時の価格をそのまま器種名にしたもので、J-45は当初45ドルで販売されていた
(1935年にカタログに初登場したマーティン社の D-28が100ドルだったことを考えると労働者には高価なものではあったにせよ、比較的手ごろなギターだったことが分かる)
ギブソン社は1870年頃にアメリカのイギリス系移民で、創始者のオーヴィル・H・ギブソンがヴァイオリンやマンドリン製作をしはじめたことから出発した。
(オーヴィル・ギブソンは、フラットマンドリンの基礎を作ることに成功し、ロイド・ロアーがその技術をさらに発展させた。今でもフラットマンドリン製作の老舗として、ビンテージはもちろん新品もギブソン社のフラットマンドリンは一級品である)。
工房を開始したのが1894年。当初は、古い家具や家屋から、樹脂化と乾燥化が進んだ最良の木材を選ぶという高級ヴァイオリンと同じ方法が用いられていた。華麗なアーチトップギター、スタイル0の発表が1902年。同時期に会社として設立された。
フラットトップではスモールタイプのギターを製作し始めるのが1926年、カントリー歌手向けに開発されたジャンボタイプの最初のギター"Jumbo"(現在、Original Jumboという名前で復刻が出ている)の発表が1934年のことである。
尚、Jumboのボディ原型は、1929年から37年頃に作られていたHG-20、HG-22、HG-24 etc...など、膝の上で弾くタイプのハワイアンギターである。

J-45は、戦争の材不足の中にも、繊細で明るい音質のボリュームのあるギターとして製造された。楽器としては、このころのものが最良といわれるが市場にみつけるのは困難


ちなみに、ギブソン社は1936年よりエレキギターの製造(ES-150)を開始。1940年代後半よりSuper 400, L-5, ES-175などのフルアコの銘器を発表している
1942 1943 材不足のため一時的にトラスロッドなし、メイプルネック、4枚合わせのトップなど登場 戦時中にあたるこの時期のものは、トラスロッドのないものなど不良製品でないかと考えられがちだが職人の努力によって優れた製品が多く、戦前のギブソンギターは、後のギブソンとは全く違う特徴を持つ奇跡的な名器と考えた方がよい。ちなみにバナーは、ギブソンが買収するまでは、古参のメーカーの一つであったエピフォン社の宣伝コピーのパロディ
1942 1946 ヘッドに“only a Gibson is good enough”のバナーが入る
1943 1963 J-35から引き継がれていたピックガードの縞模様(フレイムパターン)をベッコウ柄に
1945 1946 バック、サイド、ネックなどにメイプルのラミネイト材(合板)が使われる
1945 1952 マホガニートップ登場、明るい音質の仕上がり
1947 材不足が解消、ナチュラルフィニッシュのJ-50登場 ナチュラルにするということは、継ぎ接ぎの木や木目の汚い材質を使わなくてよくなったということである。J-45の色違いに過ぎないが、新器種J-50として発売した。
この頃から、ギアカバーのついたチューナーも採用される
1947 ヘッドのGibsonロゴを筆記体のものから、現在のスタンダードロゴにし、サウンドホールのデザインを4本から1リングといわれるものに変更 通常1リングと言われるが実際は、細いラインを含めると2本。材質などの微細な変更で、少し硬い音色になる
50年代 1950 スクエアタイプの小さいブリッジ(レキュタングラブリッジ)から、大き目のトップベリーブリッジに変更、ティアドロップ型の小さいピックガードから、ポイントのある大きなものに変更 カントリー歌手の要望にこたえる形で、デコラティヴな装飾傾向が増える。サウンド面ではブリッジやピックガードが大きくなるということは共鳴板であるトップからのボリュームを抑えることになった 様々な時代の要請にこたえていく中で、スペックを大幅に変更。結果として、ブルージーで、ややこもりがちな音質のギブソンサウンドを確立した。ボリュームの点で、若干の遜色を得たが、個性として認められ、ギターメーカーのもう一つの雄、マーティンとの区別化に成功し、名実ともに全盛期。

この時期以降は、ギブソン社が1952年に発表した銘器「レス・ポール」(フェンダー社が1950年にに発表していた「ブロードキャスター(後のテレキャスター)」に対抗して作られた)をはじめとする、エレキギターの変遷と照らすことで、初めてギブソン社の当時の全体像が見え、アコギの製造に与えた影響が見えてくる
1955 19フレットから20フレットに変更 単に工程上の変更と思われるが、結果的にはトップにつくジョイント部分が長くなり、他の変更と共にややトップ鳴りを抑えることに。ちなみにこの頃、一部の職人たちが独立して(正確にはキブソンが買収するエピフォンにいた職人たちのようだ)、ギルドという工房をつくり、非常に堅牢なギターを製作し始め、70年代までには、急速にアコースティックギターの名ブランドに成長し、プロを中心に今も根強いファン持つ
1955 ブレイシングが、スキャロップから低めのノンスキャロップに変更 鳴りを軽くする効果を狙ったか、もしくは、かき鳴らすタイプのカントリー歌手の奏法には、真中を削るスキャロップはトップの強度的な問題があったかと思われるが詳細は不明。乾いた音を演出するに至った
1956 ブリッジが簡単に高低調節可能なアジャスタブルブリッジのものが登場し、次第にメインの仕様になっていく このことは、サウンド面で決定的な変化をもたらした。弦の振動は一旦、調節可能な複雑なサドルを伝わってから、トップに伝わるため、全体のサスティンがかなり奪われた荒い素朴な音質となった。これもなかなか味わい深い響きであるが、このことについては非常に賛否両論である。サドル部分にはセラミック、象牙を使ったものとウッドのものがあり、どうにかしてサスティンを求めようとする場合には前者の方がよい。さらにウッドの材質がエボニー、ハカランダ(ブラジリアンローズウッド)、ローズウッド、などの変遷を経ていく過程で、ますます鳴りは低下していく。購入後にサドルを牛骨にする人や、通常のブリッジに改造する人などもいる
1959 ナロウハイの繊細なフレットから、音に安定感のある太くて低いワイドフレットに変わっていく フレットと弦の触れる部分が台状に平たくなり、安定したトーンを得、シャープな立ち上がりを失った。この低いフレットに関する特徴は、66〜7年頃に限っては、ばらつきあり、細高のフレットも一部存在する
1959 J-45のサンバーストが3トーンに拡張 需要の増加に伴い、ダークトーンからライトのチェリー、サンバーストまでのグラデーションを持つ
60年代 1960 サウンドホールのデザインが1リングから2リングといわれるものになる 一つの頂点を見たギブソンが緩やかながら次第にそのクオリティを失っていく過程で、この1リングと2リングの変化をターニングポイントと見る人もいる 多くの器種は、ますます倍音やサスティンやボリュームが抑えられ、デッドなサウンドになる。このあたりからは、意見の分かれるところである。音質、音量の低下ともみなされるが、後々に最も印象付けられるギブソンらしい、素朴でブルースやロックにも似合う伝統の音でもある。時にブルースマンがするように指を引っ掛けて弾くスラッピング奏法で強いアタックを作るなどして、ジェームス・テイラーやジョン・レノンなどは素朴さを効果的に活用した

1961(-1979)・・・J45-12(12弦)発売
1963・・・J45-12N(12弦)発売
1960 ブリッジパッドがメイプル単版から、ラミネイト材になる より頑丈にという製作意図で硬いラミネイト材が採用されたが、その意に反して柔軟性がないため、かえって剥がれやすいものが出てきてしまった
1961 1962 ブリッジからドットマークがなくなる 60年代のギブソンはフォークブームの中での名声を得ながらも迷走を続け、試験的な仕様のものやシリアルが前後しているものなど玉石混交で、マークやバナーなどの変化も多い
1962 チェリーサンバーストフィニッシュのJ-45登場 この赤色は時間を経て、美しく褪色するものが多い。ギブソンならではの楽しいものである。褪色はラッカーの具合などによって、千差万別だが64〜6までのものの一部は、褪色しすぎて消えてしまうものもあり、これを分けてフェイドチェリーといったりもする
1963 ピックガードに厚みが増し、胴鳴りがますます抑えられる。柄もベッコウ柄からマーブルに これ以後の製品にはかなり強いカッティング、もしくはピッキングが必要である
1965 1969 一部にローズウッドボディ、マホガニートップなど登場 どうしてこの時期にそのようなものが作られたのかは不明だが、他の器種も材変りのものがいくつか作られた
1965 ヘッドの角度が17°から14°になり、テンションが弱まる 工程上の理由かと思われる
1966 太めのネックから、細ネック(かなりのバラツキがある)になる。指板の材質もハカランダから、インド産のローズウッドのものが併用されるようになる 60年代に入り、ネックは丸く細くなる傾向にあったが、この時期に一気に加速する。
細いネックは、原則的には高音域をよく伝え、低音域に弱い。しかし、元来、トップ鳴りの少ないこの器種では、結果的に強い高音の立ち上がりがトップで打ち消され、ジャリッとした音で終わるという独特の個性を助長した
1966 1969 ピックガードにGibsonの文字とラインのマークロゴの入ったものが登場、ロゴの入れられたギターの基準は不明 会社の買収などの煽りのなか試行錯誤を続け、量産体制への変革を求められ、いろいろな器種変化がみられる
1966 トップとボディの材が厚くなる
1968 1969? 一時的にボトムベリーブリッジになる。ピックガードにねじ止め式のものが登場。J-50としてレッドやブラックのソリッドカラー登場
この頃から、ネックが特に細くなり、中にはヘッドとのジョイント部分で1.5インチ程度のものまで見られる
1969 ブレイシングが、太く重くなる。
チューナーに一部、日本製のニッケルタイプのものが採用される
音量がさがる
1969 ラウンドショルダーからマーティンタイプのスクエアショルダーのドレッドノート型になる 製造上の都合からハミングバードなどスクエアショルダーのものと統一されたと思われる 迷走の時代へ

特に70年代後半にはマーティン社によって確立され、ギブソン社も基本的に踏襲していたXブレイシングの再考をはじめ、堅牢さを求めたダブルXブレイシングや、音質の向上を求めたカーシャ博士によるカーシャブレイシングを採用したりする。しかし、結果的には思ったような売上成果は得られず、Xブレイシングに戻っていった。ただし、音響を徹底的に科学し、MARKシリーズ(1975-79)で採用されたカーシャの大胆な発想はその後、現在のハンドメイドギターやオベーション社のギターに生かされている


*実際にはJ-45は途切れることなく、J-50の方は1982年に一回生産中止となるまで製造されました。しかし、特に74年にノーリンに会社が売却されてからは品質についての疑問が多いギターが多くなります。84年には、経営悪化からカラマズーの工場が閉鎖。しかし、86年にギブソン社の経営陣が変わり、90年代に入ってからJ-50も再生産されるようになり、60年代までのポリシーを貫いた製品作りをするようになってきました。
ちなみに、一般的に70年代に入って以降のギブソン製品はそれだけで、若干、市場価格が下がってしまいますが、特にカラマズーの工場でつくられた74年までのモノの中には、60年代に印象付けられた曇った音ではないのですが、かえって鳴りのよいギターもあるので弾いてみて吟味すると安くて使いやすい、よい買い物ができるかも知れません。ポール・ウェラーは79年製のJ-45の愛用者で、そのギターでJ-45らしからぬ(?)繊細で伸びのある音色を奏でています。<01/01/02>

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