大森青べかカヌークラブ
内   川(東京都大田区)

大森青べかカヌークラブの母川である内川は、 専門用語でカンチョウ河川(感潮)です。
潮の干満で水位が変わる水源の無い川、言うなれば掘割です。干満の差 は最大で2m
あります。干潮と満潮の川姿の変わり様には、驚かされます。干潮では、底に堆積した
ヘドロ、投棄自転車が無残な姿をさらします。しかし、水を たっぷり湛えると、そんなこ
とは何も無かったような顔をします。以前は水源があったのですが、今はJRの線路ま
での1.5Kmの短い川となっています。で すから、いつもゴミと海水が行ったり来たりして
います。

 穏やかな内川 ですが、底は大量のヘドロが堆積しています。 水温が上がる夏
場の特に干潮時は、メタンガスの発生量が多くなります。息をこらえて漕ぎ抜け
るのは不愉快のものになります。昭和40年代の小学生時代に内川橋のたもと
にある原木塾に通っていたとき、内川は真っ黒いどぶ川の 印象が強く 残って
います。中学時代も内川に面した大森第八中に通い、毎日のように内川を見
ていました。マルハソーセージ工場、今もあるデイベンロイ(貸しタオル業)工場、
その他メッキ屋がたくさんありました。高度経済成長時代であり、排水規制が
緩いため酷く汚れていました。

 大 森青べかカヌークラブの発足
 
昭和の終わりか平成はじめ、内川を下水道として使うために暗渠化計画が
行政から持ち上がりました。付近の住民から内川が臭いので暗渠にしてほ
しいという意見もありました。しかし、内川がなくなると、町の潤いもなくなって
しまうことに危惧した友人がいました。M氏と言い、「内川をよみがえ
らせる会」を平成元年に設立し、内川が暗渠化されないようにするために、
地元の町内会、自治会、議員等にかけあい、署名運動も行って行政に訴え
ました。ちょうどそのころ、私は羽田空港付近の水辺をカヤックで楽しんで
いましたところ、M氏(東京港野鳥公園の設立に古くから関わっていま
した)から内川を拠点としたカヌークラブを作る提案がありました。海に入る
場所探しと艇庫に困っていたこともあり二人でカヌークラブを結成しました。
クラブの名称は、かつてこの大森の海苔漁業で使われていた「べか舟」と
一時期大田区馬込に住んでいた山本周五郎の作品「青べか物語」にちなんで、
「大森青べかカヌークラブ」とし、平成2年に設立しました。大森青べかの設
立は、内川が暗渠化されないことを願うとともに、ふるさとの内川を利用して
いる姿を示す必要があったのです。内 川の場所はこちら

(追記:M氏は東京都主催の「内川流域連絡会」の メンバー。森が崎下水
処理場の屋上でコアジサシの集団繁殖を発見し、リトルターンプロジェクト
代表 となっている。)



毎日近隣のお年寄りが集い釣りを楽しんでいます。


ハゼが10匹入っていました。
釣りを楽しめるのも増田が暗渠化を止めたからです。

 ところで なぜ、どぶ川なのかと言うと、上流のJRの線路下から、大雨になると下水が流
されるからです。水質を改善するため、大田区は曝気装置を設置しました。下水に酸素
を送り込むことで有機物を分解する浄化方法(下水処理場と同じ方法)を3ヶ所に設置し
ました。このおかげで普段の水質が良くなっています。河口は赤潮でも、内川は澄んでい
ることがしばしばあります。


下水の放流


大田区が設置した曝気装置

東京湾の総ての河川にこの装置を設置したら、東京湾は今よりずっときれいになる
ことでしょう。ちなみに内川の費用負担は大田区民の税金を使っています。汚濁原
因は未処理下水ですから、下水道局も浄化費用を負担するべきですが、下水が
一旦河川に流れると、その先は河川を管理する自治体や国が汚染の除去を担当
しなければならいというおかしな区分があります。

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