大田区大森沖・昭和30年代(田口久雄氏撮影)
テンマ揚げ場にならぶべか舟
「べか舟」(海苔採り伝馬)は海苔の生産に必要な基本となる舟でした。
大田区大森・昭和30年代(田口久雄氏撮影)
海苔の枠乾しが、第一京浜から海側の地域ではどこでも見ることができました。
大田区沖・昭和10年ころか(藤森三郎氏撮影)
現在の羽田空港は、広大でゆたかでうつくしい遠浅の海でした。
(以上の資料提供は大田区立郷土博物館「消えた干潟とその漁業」1989年5月発行から)
これが青べかです。
1994年の海老取川にて。主人から捨てられ悲しげだ。この船を最後に、べかを見かけない。
12年前(1990年)に海老取川に捨てられていたベカ舟(右)と伝馬船(左)
海苔船が捨てられていた
(内川河口(1990年)の堤防)
なつかしの焼玉エンジンを搭載していました。
(これは排気弁が付いているからなあ・・・?)